菊池菊祭り

2018年11月4日

今年で29回を、迎える、菊池の秋の風物詩「菊人形、菊祭り」が、菊池市民広島を会場に、「菊池市菊祭り推進委員会」の皆さんが心をこめて育てられた大菊、小菊、懸垂、盆栽、菊人形などの作品が展示されています。毎年、菊池一族の武者姿を菊の花で表現した菊人形が見所です。日本一の騎馬像の前に展示されますので騎馬像と菊の花のコントラストをお楽しみくださいませ。

11月4日~11月18日 9時~17

現在、菊池市民広場では、改修工事が行われており、展示会場が例年より狭くなってます。11月18日11時、閉会式終了後、展示菊の即売会が行われます。皆さん、いろんな菊の即売が、ありますので買われています。

菊の花言葉は、「高貴」「高潔」「高尚」皇室の紋が、菊からきています。菊は、日本人にとって特別な存在す。

菊には、不老長寿や繁栄をもたらす力があるとされ、風水では、健康運をアップさせる効果があると言われています。9月9日の菊の節句(長陽の節句)に、花を枕に入れて寝ると、やさしい香りが夏の疲れと一緒に、体内に残った厄を落としてくれるそうですよ。春の桜、秋の菊、日本人には、特別な存在ですね。

南北朝時代に菊池一族が奮戦した、「太刀洗の場」や「袖ヶ浦の決別」は、人形に、菊をあしらっています。太刀洗の戦いは、大保原(小郡市)で武家方の小弍 頼尚に勝利した宮方の菊池 武光は、さらに敗走する敵を追って山隈原まで進出した。小弍方の大友勢も、菊池勢に敗れた。武光は、小川を渡り追撃しょうとしたが、味方の負傷者も、多かったので、進撃をやめ、小川で血まみれの刀を洗い、川のみずは、赤くそまった。そこで、太刀洗町と名ずけられた。太刀洗町には、菊池武光の銅像があります。この筑後川の戦いは、関ヶ原の戦い、川中島の戦い、に並ぶ日本三代合戦の一つです。袖ヶ浦の決別は、菊池 武時が、小弍氏、大友氏に裏切られ、援軍が望めないなか、菊池、阿蘇勢で作戦を決行しましたが、自軍の敗退を覚悟し、息子の武重、武光を呼びだして撤退を命じます。この場面が、袖ヶ浦の決別です。ちなみに、武時以下、全員が討死しました。しかし、楠木 正成により評価され、後醍醐天皇への進言を得て、武重が、肥後守に任命されました。この時、首がきられたのに、気がつかないまま数キロ走り抜けた。という伝説が残っていて、首が落ちた福岡市城南区の護国神社付近に首塚、胴が倒れた、七隈付近に胴塚として、2つの墓が残っています。現在は、それぞれの場所で、菊池霊社、菊池神社の主祭神として祀られています。

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