菊池一族ウォークラリー3

2019年04月24日

雲上宮です。

守山城、雲上城といわれる山城です。
本丸は、菊池神社付近。二の丸は、月見殿付近。三の丸は、金比羅宮付近でした。
こちらの、雲上宮は、後醍醐天皇の息子、懐良親王の御在所で、前面に、本城、背後に外城をひかえた地で、「内裏尾」と言われます。内裏とは、天皇の住居、尾とは、守山城の裾野の場所を示します。
今では、菊池神社に参拝する人は多いものの、雲上宮に、参拝する人は、少なく、生い茂った木の中に、ひっそりと、建っています。時が、止まったかのようです。

頼山陽の詩碑です。
城山公園の中に、建っています。

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頼山陽は、江戸時代の儒学者。15代武光が戦った筑後川の戦いの情景を詩にしました。この一編は、人々を感動させ、維新回天の志士が愛唱しました。

北宮神社です。

1378年、菊池武政が、阿蘇大明神を勧請し、菊池の郷社として、創建された神社です。菊池神社は、比較的、新しい神社ですが、昔からあったのは、こちらの北宮神社です。
北宮神社には、とても古い、伝征西将軍宮軍配扇が納められています。
また、神社の前には、菊池川が流れており、菊池一族御刀洗所と、書いた石碑が、建ててあります。

菊の池跡です。

菊池初代則隆が、菊池に来た時、深川に居を構えました。深川に広大な池があり、花の形をしており、あたり一面に、菊の花が咲いていたことから、菊の池と言われるようになりました。田畑を潤し、池は枯れることがないことから、則隆公は、氏を、菊池と改め、この地を、菊池と称しました。
今では、面影が残っていないようです。

菊の池の前には、菊池神社の頓宮に、菊池則隆公墓所があります。

1070年、大宰府天満宮領の荘官として菊池に赴任し、深川に居を構え、息子の政隆を七城(西郷)に、保隆を鹿本(分田)に配し、菊池川を、支配していきました。初代則隆のお墓が、菊池神社の頓宮にあります。
菊池神社の頓宮。
菊池神社の秋祭りは、「新宮さん」と、呼ばれ、新しくできた神社、菊池神社から、こちらの菊池一族の初代則隆が、住まわれていた、菊池神社の頓宮まで、御幸行列が続きます。菊池神社を、出発した御幸行列は、馬🐴にひかれた、お宮さんの分身を深川の頓宮までお運びします。深川の頓宮で、お参りした後は、北宮神社をとうり、再び、菊池神社へと、戻ってきます。保育園の子供たちが、稚児行列で連なって、お宮さんの前を歩きます。小さな子供たちには、かなりの距離です。私も、子供たちが、年長さんの時、歩きましたが、とても、遠かったです。