菊池一族ウォークラリー6

2019年05月1日

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八坂神社、延寿太郎屋敷跡です。
菊池氏に、刀鍛冶として仕えた延寿太郎国村は、良質な砂鉄や用水、交通の便から、この地に屋敷を構えました。延寿は同田貫と共に肥後の代表刀工です。

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迫川を渡り、神尾城です。
別名、水次城です。
神尾城は、山城です。菊池18外城の一つです。
阿蘇三社宮の境内一帯が、お城の跡です。

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少し先には、台城があります。
こちらも、菊池18外城の一つです。別名、水島城です。
台(うてな)台地の先端に位置し、打越城、正光寺、増永城と連携して、玉名、鹿本からの敵に備えました。

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亀尾城です。菊池ぁ18外城です。別名坂井城です。相良一族が、この地に入り、坂井氏を名乗ったことから、始まります。

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打越城です。菊池18外城です。菊池一族の支族、林原氏の居城でした。

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正光寺城です。
菊池18外城です。
加恵氏の居城です。
菊池氏、8代能隆の子、隆時が加恵氏を名乗って、居を構えました。
この地には、正光寺、買石寺、正元寺の加恵三寺があり、名前の由来になっています。

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増永城です。
菊池18外城です。
増永氏の居城です。別名、西郷城です。
菊池氏、初代則隆の庶子、政隆が、西郷太郎を名乗って、ここに、居を構えました。こちらの、ご子孫が、西郷隆盛です。

増永城のすぐ、近く。
西郷南洲先生祖先発祥の地があります。
西郷隆盛のルーツは、菊池一族にあります。
西郷家に伝わる家系図によると、その祖先は、菊池一族初代則隆にさかのぼり、則隆の子、政隆は、七城の西郷地区、増永城に居を構え、政隆から数えて、26代、昌隆の代で、島津氏に仕え、西郷隆盛は、32代目にあたります。
西郷隆盛が、奄美大島に、流され、身を隠した時、「菊池源吾」と、名乗りました。「吾が源は、菊池にあり」という意味です。
子供たちにも、菊次郎、菊草と名ずけました。
菊池一族は、不利な戦いでも、寝返ることもなく、ずっと、天皇側に味方しました。その、芯のとおった生きざまと、西郷隆盛の生きざまは、重なるものがありますね。西郷隆盛発祥の地の石碑は、徳富蘇峰によって、書かれています。また、敷地の中に、公民館があり、西郷さんの教え、南洲翁遺訓の勉強会や、西郷さんに関する、講演会なども、あっているようです。
明治政府の逆賊の大将として、亡くなっても、広く、愛される西郷さんのルーツが、菊池一族であること、菊池源吾と、名乗っていただいたことに、誇りをもって、菊池一族を、語りついでいきたいですね。