菊池一族ウォークラリー2

2019年04月23日

先日に、引き続き菊池一族ウォークラリーの続きを、まわってみました。

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菊池神社です。
菊池一族を、お祀りする菊池神社。主祭神は、12代菊池武時公、13代武重公、16代武光公です。皇族に忠義を尽くした菊池一族をたたえ、明治天皇により建てられた、別格官弊社です。菊池城の本丸跡に建てられてます。
菊池一族のシンボルの神社です。神様が、主祭神というのが普通ですが、武将が、主祭神って、珍しいでしょう。戦いの神様ですので、戦争中は、戦争に行く兵隊さんの、お参りも、多かったようです。チェックポイントは、菊池神社の説明看板にありました。

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菊池神社の境内の中にある、菊池武時公の騎馬像です。
市民広場は、武光公ですね。武時は、12代当主。10代武房公の孫。11代時隆公の弟になります。出家して、寂阿という法名を名乗っています。
1333年、鎌倉幕府打倒を、掲げた後醍醐天皇にこたえ、九州の幕府の出先機関、鎮西探題を、襲撃しました。
事前に、幕府に反感を抱いている少弐氏、大友氏と共謀して討入にいどんだのてすが、直前に裏切られ、援軍が望めないなか、菊池、阿蘇勢わずか、70名で作戦を決行しました。武時は自軍の敗退を覚悟し、息子の武重、武光を呼び出して、撤退を命じました。「袖ヶ浦の別れ」として、語り継がれています。戦いでは、寝返った少弐、大友軍に背後をつかれ、突入した武時以下、全員が討死しました。この時、「首が切られたのに、気がつかなまま数キロ走りぬけた」という伝説が残っています。首が落ちたとれる、福岡市城南区の護国神社付近に首塚、胴が倒れたとされる七隈のそばに、胴塚が残っています。現在は、それぞれ新しい場所で、菊池霊社、菊池神社の主祭神閉じて、祀られています。
討死から、650年たった1978年。地下鉄工事中、大量の人骨が発見されました。古文書と、がっちするため、武時率いる菊池一族の遺骨と推定され、これらの人骨は、菊池神社に祀られています。
また、武時は、16人の子供たちがおり、13代武重、14代武士、15代武光をはじめ、九州一円を制覇するまでに至った菊池一族の源は、武時の息子たちを中心でした結束力にあったんですね。
チェックポイントは、武時公の騎馬像の前にありました。

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ウォークラリーとは、関係ありませんが、銅像の横には、稲荷神社があります。赤い鳥居が、連なっています。時の一番前は、家の旅館の鳥居でした🤗